東京を好きになるということ
2020年8月8日にメモしていた文章が見つかったので投稿します。この当時はまだ地元に帰省していて、いつ東京に帰ることができるのかも分からず不安になることから逃げていたころ。
今日もやっぱり地元の小さな図書館へ。いやしかし不思議だ。一般図書が教室半分しかないような書籍の少なさのくせに、料理や暮らしの本は割に合わないほど揃っている。まあだから私は毎日通ってるのだけど。今日の一冊目はPOPEYEの東京編にしてみた。わざと回りくどい文章を書いてるとこは毎回少し鼻につくけれど、変わらずこの雑誌が大好きだ。行きたい場所、食べたい料理、欲しいものなんかを付箋つけてリストアップなんかしてみたり。少しでも自分の「東京モチベーション」を上げるために。これでも今できる最大限の努力はしてる。しかしどんなにページを読み進めても気分は一向に晴れてくれない。完全に4日前あたりからバッドに入っている。要因はほんといろいろある。私を不安に陥れる些細なことが世の中には溢れかえってる。(コロナとか原爆のツイートとかパパの怖い話とか)これを書いている今だって心がズーンと重苦しいからこうやってnoteを開いてるんだけど、まあそれでもただ落ち込んでます、お涙ちょうだい的なこと言うために書いてるわけじゃない。前置き下手だし忘れかけていたけど、そうだ、リリーフランキーの文章が今腑に落ちたのを残したかったんだ。自分なりにかみ砕いて書いておく。情報網が発達した今、何も東京行かなくたっていい。ネトフリは島根の田舎でだって観られる。でも、東京だから得られるのは”経験”なんだ。それは目には見えないから自暴自棄の根源にもなるけど、だけど絶対糧になる。まあ確かにそうだ。失敗たくさんしたものね。まだまだこれからだけど。そういえば、便利さを求めて上京するって、今の時代目標ない限りなぜ東京にこだわるのかっていう意味を見失いそうだ。今の私には、東京に無くて地元にあるものばかり探し、安心している。東京にいる意味を考えることは、私を慢性的に苦しませる種になっていた。果たして東京にいた時、私はそこでしかできないことをした?食べた?買った?遊んだ?アンサーは、ビミョー。ああなんだか今の私にはこの気持ちをまとめるのは困難だ。(すまん、二か月後の私、まとめてね)不安って消えないと思う、どんなに楽しくても豊かでも。けれどいい塩梅にしておくといいんじゃないかな。周りに流されすぎず、自分の好きなモノを馬鹿にされたらちょっとふてくされて、お金は良いことに使い、魂震わせながら。そのくらいのお約束を自分としていればいいんじゃないかな。だって東京のこと、何にも知らないじゃん?これから、これから。がんばれ、自分。
Nami
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