失恋について


みなさん、失恋したことはあるだろうか。僕は一度経験がある。長く付き合っていたためにショックは大きく、失恋後の数日間は涙との共同生活を強いられた。


失恋した翌日にもかかわらず、僕は大学の講演会に出席していた。その講演会は和紙の歴史について延々2時間半語るという内容で、出席している学生のほとんどが興味を示していなかった。

ところが、2列目中央に座っているひとりの男、どうやら様子が違っている。よく見ると、なんと、信じられるだろうか、誰も興味を示していない和紙の歴史に甚く胸を打たれたのか、目に涙を溜めている!    いや和紙で?

もちろん和紙ではない。前日の失恋である。当然だ、どこに和紙に涙する人間がいる。

しかし、他の人は僕の失恋など知っているはずがない。それゆえ傍から見ていた友人の、僕を評して曰く「和紙で泣く男」である。

18年間で僕はあらゆることを感じながら生きてきたのだーーー友情、愛、挑戦、悔悟、苛立ち、葛藤、そして今の僕ーーーしかしそういった一切合切は友人の手によって完全に捨象され、あいにく僕は「 和紙で泣く男 」になってしまった。こんなことがあってはならない

つまり、失恋すると比較的高確率で「和紙で泣く男」というあだ名を付けられてしまうのだ!こんな「ドラゴン・タトゥーの女」の対義語みたいなあだ名、誰だって嫌だろう。ドラゴン・タトゥーの方が良いに決まっている

と、ここまで言ったものの、実のところ僕は失恋恐怖伝道師ではない。むしろ、失恋ってわりといいよね、ということを本当は言いたい、失恋推奨委員会の者です

失恋は、すごく苦しくてつらい。食事は喉を通らないし、何も考えられない。世界が変わってしまう。たしかにそうだ。 

しかし、その傷が価値ある傷であることは間違いない。なぜなら僕らは、失恋によって様々なことを考えるようになるからだ。たとえば自分の振る舞いとか、性格とか、弱さとか、ひとりの人間との付き合い方とか、そういったことを。

そういう意味で、失恋から学ぶことは多い。苦しさやつらさと向き合うことができれば、僕らは間違いなく成長できる。たとえば昔から好きだったあの歌が、あの物語が、腹に落ちてくる。色を失った恋は、代わりにあらゆる言葉に色を与えてくれる。今まで見えなかっただけで、世の中には失恋後に得られる果実が山ほどあるのだ。

だから今は、失恋できたことを良かったと思う。僕はきっと失恋がなければ今頃、気取った言葉を自慢げに使って、実のない文章を書いていたかもしれない。また、自らの人生について深く考えることはなかったかもしれない。だから今はただ、ありがとう、と思っている。彼女との思い出は固定され、こころの中で永遠に生き続ける。それだけで十分、うん、十分……?………だと思う

要するに、失恋に代表される一見マイナスに思われるような経験は、捉え方によっては良い方向に転じるんじゃないかな、という提言である、どうだろうか、共感していただけるだろうか。

最後に、皆さんに伝えたいことはたったひとつだけ。僕は断じて、和紙では泣いてない、和紙ではない、和紙って、だって、意味わかんなくない?和紙で泣くって

Written by おうか


We Cry

ふと思いついたアイディア、 あの日から解せないこと、 引き出しの中で眠っている絵。 そのままにしてしまうのは なんて悲しいことなんだろう。 だったらそれをシェアして広めようよ、 そこから新しいものが生まれたら 素敵だよね。 という思いから、このウェブサイトを プラットフォームとして、 ジャンルも形も問わず 何でも自由にシェアしていきます。

0コメント

  • 1000 / 1000