日本のジェンダー論
ジェンダーなんて正直どうだって良い。
ぶっちゃけた話、僕はそう思っている。その上で、みんながこうなればマイノリティなんていなくなると思っている。
いきなり話が変わるが、みんなは血液型を気にしたこと、あるだろうか。献血時以外、と付け足そう。まあないだろう。A型専用車とか、B型Dayとか、O型限定サロンとか、AB型高校とか、存在しないじゃないか。
ジェンダーなんてそんなもんでいいと思うのだ。無関心なのではない。関心が故の無関心とでも呼ぼうか。
君が男だろうが女だろうが、僕には関係ない。学術的にジェンダーの多様性は認める以外無くなった今現代において、あんまりカテゴライズするのはナンセンスな気がする。もちろん性っていうのは一番わかりやすい分け方だし目に見えやすいものだから、パッと分けたくなってしまう気持ちは理解できる。が、馬鹿馬鹿しい。
そもそも、気にしすぎなのだ。フェミニストは女性は女性は言い過ぎだし、そのカテゴライズをより強固なものにしてしまっていると思う。正直、うるさい。腐れフェミニストは大嫌いだ。女性の権利が迫害されてきたのはわかった。その上で言いたいのは、男女の違いを明白にしていくことになんのメリットがあるのだろうということなのだ。
そもそも言いたいのは、性別は男女だけじゃないってこと。少なくとも8通りには分けなくてはいけない。もっと細分化していくなら…キリがない。性別ほど単純に見えて単純でないものなど他にないのだ。まず性別など忘れて、人間を個として評価するべきだ。歌でも、仕事でも、なんでも。声が高い人、低い人、仕事ができる人、できない人。男女は関係ない、その人の個性なのである。
あなたも僕も、男や女である前に人間なのだ。括れば同じなのだ。そして反対に、あなたも僕も個なのだ。同じ所など見つける方が難しい。
性別なんてくだらないカテゴライズはやめにして、人と人、一対一ベースで物事を考えて欲しい。
たしかに子孫繁栄のためのセックスは男女間でしか行うことができない。それは事実だが、それとこれは分けて考えるべき問題だと僕は思う。わかりやすく言えば、上記の内容は、ジェンダーについての男女の話で、セックスはまた別の「性」である。
そんなことはさておき、とりあえず、日本は紅白歌合戦をやめよう。男女というくだらない枠組みをやめてみよう。日本におけるジェンダー論は、それからだ。
と、いうとたくさんの反論が来るだろう。しかし、少しでも僕に共感できるところがあったのなら、あなたなりにもう一度ジェンダーについて考え直してほしい。そしてそれを発信すること、全員に関心を持たせることが、まずすべき事ではないだろうか?
Written by Kohei Suga
3コメント
2019.01.10 14:53
2019.01.10 04:51
2019.01.08 17:27