天才について

天才について、と題したからには、天才にまつわるあれこれを語るわけですが例えば、「どうすれば天才になれる?天才の特徴、5選!」のような、何もかも間違えまくっている記事を書くつもりはありませんので、ご安心を。仮に、天才の特徴が"口下手"だったとして、「口下手になって、明日からあなたも天才ライフを送ってくださいね!」って、なりますか?こんなの、スーパーカルトですよ、「送ってくださいね!」と、言えてしまうあなたの自信はどこから? 私は喉から そんなあなたには青のベンザ

ということで僕は天才にひとつ物申したい。天才と呼ばれる彼らにではなく、天才という言葉を使う彼らに。

「天才」という呼称は、完全なる誉め言葉ではないと思うんですよ。まず、天才=天が与えたもうた才能、ですよね。つまり、先天的に備わっていた能力のことです。

たとえば、あなたの同級生に東大模試3位みたいな、すごく優秀な友人がいたとします。往々にしてそういう人達は「天才だ!」と仰がれますよね。

これの何が悪いの?誉め言葉じゃん、と思うかもしれません。しかし、僕にはこの「天才だ」という言葉に、「彼には生まれもった才能があったから」というニュアンスを感じてならないのです。

つまり、自分には才能がなかったけれど彼にはあった、という意味を内包した「天才だ」なのではないか、ということです。これはすなわち、自分に対する諦めであり、しおれかけた自己肯定感に水をやるための言葉です。

なぜこの言葉が自己肯定に繋がるかというと、天才と仰がれる彼に「努力」を結びつけないからです。つまり、努力しない、あるいは努力できない自分を肯定するために、彼をして天才せしめるものは努力ではなくあくまでも先天的な才能ただひとつである、と信じ続けるのです。

だから、生まれたての子供にぬるま湯をかけてやるかのように、自分ができるだけあたたかい場所で安心するために、「天才」という言葉は使われるのではないかと思います。

愚痴もほとんど、それと同様です。人の粗ばかり探して、自分の方が優れていると信じたいって、あまりにみじめじゃないですか。

だからですね、優秀な人間をあまねく「天才」と呼ぶのはナンセンスだと思うんです。なんか、ダサくないですか?僕ら若者は、間違いなく、あきらめをつけるには早すぎるし、なにかを始めるのに遅すぎやしません。そう思った方がずっと良い人生になると思うんですが、いかがでしょうか、みなさん

Written by おうか


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