断捨離

断捨離をしている。



が、驚くほど進んでいない。断捨離というのはカタカナに直すとダンシャリとなる。分かるだろうか?この歯切れの良さ、ダンと決意しシャリと捨てる。この潔さこそが古来から断捨離を断捨離たらしめてきた。


ところがどうだ、わたしは今まったく断捨離をしていない。強いて言うならわたしのしていること、それは徒歩である。室内をひたすら徒歩している。今誰かから電話がかかってきた場合、わたしは「大丈夫、ちょうど徒歩していたところなんだ」と答えるだろう


こんな男、まず大丈夫なわけがない。まるで徒歩を目的に徒歩しているみたいな言い種だ。だが、徒歩を目的に徒歩するのは老人だけと相場が決まっている。老人は徒歩か水戸黄門を見る以外にすることがないが、黄門様は大体において徒歩で移動しているので結局は徒歩である


さて、わたしが断捨離できない理由ははっきりしていて、ひとつは単純に面倒である点。もうひとつは全てのものに愛着が湧いてしまう点だ。


面倒という点はまあいいだろう。わたしは定期的に断捨離に挑戦するが、どれも失敗に終わる。わたしには断捨離専門の悪魔が憑いており、断捨離を始めると悪魔がこのようにささやいてくる。「こんなことしてないでステファン・カリー超絶プレー集、見ちゃおうぜ」


そしてわたしは十中八九、ステファン・カリー超絶プレー集を見てしまう。男の子はこういう動画にマジで弱いのだ。この悪魔、傾向と対策を熟知している。


さておいて、すべてのものに愛着が湧いてしまう点、これが厄介だ。たとえばどんなものか?驚かないでほしいが、わたしはレシートすら捨てられない。


わたしにとってレシートは日記なのだ。その日どんなものを誰と食べたか、レシートを見れば思い出すことができる。あの長方形には、思い出が詰まっている。


他にもたとえば、スターバックスで店員さんに「勉強Fight!」と書いてもらった紙や、これ以上もう使えない鉛筆なども、やはり捨てられない。


先ほど、「頑張れ、一二三!」と書かれたメモ(おそらくわたし宛に書かれたもの)が出てきたが、わたしは一二三ではないし、そんなあだ名だった覚えはないし、歯はあるし、本当にワケがわからなかったがなんか捨てられなかった。


ここまでくると病だ。捨てられない病、もったいない病。ダセエ生き方、と思いながらも今日も捨てられなかった。皆さんは捨てられますか。捨てられるといいですよね

おうか

We Cry

ふと思いついたアイディア、 あの日から解せないこと、 引き出しの中で眠っている絵。 そのままにしてしまうのは なんて悲しいことなんだろう。 だったらそれをシェアして広めようよ、 そこから新しいものが生まれたら 素敵だよね。 という思いから、このウェブサイトを プラットフォームとして、 ジャンルも形も問わず 何でも自由にシェアしていきます。

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