もうマイペースでいいです
高2という時期を、ほとんどの人は体験していることだろう。
もちろん、体験していないという人もいるだろうが、そう言われてしまうと、これからの時間がたいへん気まずくなり、沈黙は深まり、意味もなくコップに手が伸びてしまう時間になりかねないため、ここはグっと堪えてほしい。
高2というのはどういう時期だろうか?高2は思うに、青春のピークではないだろうか?高1は学校に慣れる段階だし、高3では受験が控えている。
その点、高2は行動の幅と自由があり、それでいて制約がない。すばらしすぎでは?文句のつけようがなくないか?なりたい職業ランキングに 「高2」が入る未来もそう遠くないのでは?そのように思うだろう
しかしそんな時期にも関わらず、学生時代からバスケ一筋だったという担任教師はわたしにこう言った。「(勉強や部活を)死ぬ気でやってみ?死なねえから」
わたしは口をポカンと開け、ドリブルし続けると人はここまでになってしまうのか、と驚きを隠せず、薬局でドリブル止めのお薬とかもらった方がいいのでは?などと思ったが、まあ言い分は分からないでもなかったので「はい」と言った
「死ぬ気でやる」というのは「死ぬ気でやれる」が前提条件となる。
わたしは高2の夏、彼の言葉を思い出すたび、死ぬ気で勉強しようとしたり、死ぬ気で書道に打ち込もうとしたり、死ぬ気でファストパスに走ったりしたのだが、どれも失敗に終わってしまった。俺ハニーハント大好きなのに
在学中も卒業後も、何度も「死ぬ気」を試みた。しかし、すべて徒労に終わった。すると、死ぬ気でドリブルをし、死ぬ気のシュート、死ぬ気のトラベリングなどしていたであろう担任の先生が、途端、すごっ、となった。
死ぬ気で何かをすることが、自分にはできなかった。すごくあま~~~く、なまあたたか~~く健康で文化的な最低限度の生活を営んできたわたしは、ついに「死ぬ気」にはなれなかったのである。
でも、そこで「え~ん」とならなかったのは我ながら見事で、「まあいっか~」と思い、マイペースに好きなことをやりながら過ごしていた。
そして、あるとき、はたと後ろを振り返ってみると、案外長い距離を歩いてきたことに気付いた。死ぬ気ではなかったし、死ぬ気でやってきた人間に比べてはずっと短いだろうが、悪くはない距離だった。
結局のところ、才能に絶望して何もやらなくなるよりは、ダラ~っと少しずつ距離を伸ばしていく方がずっと良いのではないかと思う。結果として、それが長い道のりを作っていた、ということもあると思うし、先生には申し訳ないが、わたしはこのままマイペースでのびのびとやらせていただこうと思います。先生、寒い季節が続きます、くれぐれも過度なドリブルにはお気をつけて
おうか
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