同じタイトルの違う話 2


「羨ましいほどの才能を持った人間も誰かを羨んだりするのかなって」

思ったことがあって、
私はどちらかというと「何でもそこそこできるほう」だった。「上の下」くらいかな〜
勉強はまあできた方だったし、比較的器用だから運動も美術もそこそこできる。
でも、でもね、1番にもなれなかった。奮起してトップを目指すわけでもなく、なんとな〜く8割くらいで満足して生きてきた。
だから何かの一芸に秀でてる人って私にとってはものすごく羨ましい。
きっと夢中になれて楽しいんだろうな〜って、羨ましいな〜って、
羨ましいほどの才能を持った人間も誰かを羨んだりするのかなって
思った

でもね、
その人はその人で
「何でもこなせるクリムトが羨ましいよ」って言われたことがあるの
びっくりだなぁ、才能を持っている人間だってこんな私を羨ましいと思うんだから。

結局、隣の芝は青い。
人間は欲深いから他人が持っているものまで欲しがって、全部手に入れたいと思う。
だから自分は青くないと思っていた自分の家の芝生も、隣の人から見たら意外と青いということがあるんだなぁと、なぜこんなシンプルなことを忘れてしまうんだろう。
人並みで十分ではないか。
むしろ人並みに何でもこなせることこそがクリムトの才能なのではないか?なんてね、にやり笑 
特別な才能が必要なら、できる人に頼めばいいってこと。
まあこれから先も隣の芝生が青くて疲れちゃうこともあると思うけど、自分ちのヤツも思うほど悪くないかもしれない。
だから、ほかの人が私の持っているものが羨ましいと言ってくれている今のうちに、自分の持ち物をちゃんと手入れしてあげよう。


  みんな違ってみんないい。

K子みすZ大先生が言っていたことを私たちはいつ忘れてしまったのだろう。
頭では理解しているつもりでも、なかなか実感するのって大変なんだよな

今日は自分にある才能を探そう。
今日は自分にある才能を褒めよう。

Klimt

We Cry

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